1.はじめに
平成が終わって、令和に変わってから約一カ月が経過した。天皇徳仁と皇后雅子に替わってから、初めての国賓としてアメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプ氏との会談の風景において、両陛下が通訳を介さず話をする映像が話題になった。その風景から令和のスタイルが平成のそれと異なるのではないかと彷彿させるものだと、筆者は感じた。そこで今回は、政治学者の原武史の『平成の終焉―退位と天皇・皇后』の内容の要約と所感を述べていく。
2.概要
この本は、序章・1章・2章・3章・4章の5章立てになっている。
まず、序章ではこの本の導入となる天皇明仁の退位の意向表明から退位特例法に至るまでの大まかな流れを述べている。
1章は、2016年8月の「おことば」を細かく分析し、天皇明仁の思考を検証しようとしている。そこでは、第1節で「おことば」の背景にある天皇の譲位に関する歴史的背景を述べ、第2節にて「おことば」の分析を行っている。第3節では「おことば」の分析から得た「おことば」における6つの政治学的問題点を述べている。
2章は、皇太子明仁と皇太子妃美智子が行ってきた行啓が原の言う「平成流」に繋がっていくことを指摘している。この「平成流」と呼ばれる2人のスタイルが昭和天皇・香淳皇后の行幸啓とは違い国民に近づいていくスタイルとして形成された。そして、皇太子明仁・皇太子妃美智子の行啓が、「遅れた」地方に「進んだ」東京の風を送り込むという、日本の近代化へのきっかけになったことも指摘している。
3章は、明仁が天皇に即位したことによって、皇太子時代に形成されてきた「平成流」が最終的に完成したことを振り返っている。そして、「平成流」の行幸啓が昭和初期の超国家主義に通じる政治的意味合いを持っていることを指摘している。
4章では、天皇明仁の退位と皇太子徳仁の即位に伴う皇室の未来について述べられている。そこでは、上皇明仁―天皇徳仁―皇嗣文仁の体制が平成のようなしっかりとした序列ではなく二重権威化、三重権威化しかねないと言うことを指摘している。さらに、天皇徳仁・皇后雅子夫妻は、上皇・上皇后夫妻の「平成流」とは異なるスタイルになることを示唆している。そして最後に、天皇の「人間」への道についても述べている。
3.所感
この本では、天皇明仁の「おことば」の分析と「平成流」の振り返りを行うことによって、「おことば」の問題性、「平成流」の政治的意味合いを見いだしている。「おことば」は、憲法上権力を持たない天皇を権力主体にしてしまい、戦前の権力の強大な天皇像の残滓が残っていることを指摘している。さらに「平成流」は、行啓・行幸啓によって国民の内面においてミクロ化された「国体」が形成され超国家主義に通じる政治的意味合いが持っていることが指摘している。そして、天皇という存在が戦前の「神」のように扱われていることも指摘されている。
これらを通して、「平成流」といえども、その基礎は明治以後の神聖な天皇像が残っている。つまり、戦後の天皇の「人間宣言」が行われたといえども、国民の心の中には人間とは別の存在として扱っている。天皇明仁の退位はそのことを気づかせる出来事であると言えよう。そして、この本が天皇制の問題を議論する上での一助となるであろう。
初稿:令和元年6月22日